自己啓発・スピリチュアル

沈黙の兵器

戦争は変わった

1954年国際金融資本家たちによって静かに宣戦布告された。

それは爆発音を伴わない、肉体的あるいは精神的な損傷の原因となることはなく、誰かの日々の生活を明白に妨害することもない。

大衆はこの兵器を明確に理解する事はできず、攻撃されて征服されている事が信じられない。

世間の人々を無知にせよ。大衆を上の空にさせよ。そして本当に重要な問題から目を逸らす脇道に導くべし。如何に効果的にメディアコントロールし、教育を破壊し、大衆の気を逸らさせるかにかかっている。

メディア

成人大衆の関心を真の社会問題から逸らし、少しも重要でない事に縛り続けよ。

学校

決して真の数学、経済学、歴史については教えず、永遠に無知のままにさせ続けよ。

娯楽

小学6年生程度の水準以下にとどめ続けよ。

労働

考える時間もないほど忙しく、ひたすら忙しくさせ続けよ。そうすれば他の動物と共に農場へ戻る。

家族という単位をとことん破壊しなければならず、家族を両親の共働きが増える過程で分解し、面倒をみる人間がいない子供達を日常的に世話する保育センターを政府機関が運営しなければならない。洗脳教育は早いうちから行うほど変移の速度を上げる事ができる。

普通に暮らしている人に対し「お前を家畜の如き奴隷にする。お前の全財産を奪うから出て来い。」といきなり本音を突きつけても当然抵抗するだろう。しかしその間の1つの然るべき中間項を入れると成功率は非常に高くなる。少しずつ招き寄せるのである。「民主主義」「人権」などは要するに人々をおびき出すゲームの仕掛けの一種と思えば良い。この場合、全てを失う地獄に近づくどころか、そこから遠ざかる様にまず誘導される。その時には自分がやがて命と財産の全てを奪われる地獄に導かれていくなど夢にも想わない。これは一握りの国際金融資本家達が人々の生命、財産を出来る限り合法的に、極最小限の危険と費用で盗奪するための方法「沈黙の兵器」である。

奴隷化と計画的人口削減という広大な目標の実現を通じて、世界的規模の社会のオートメーション化に到達する。世界人間牧場への成り行きはある一つの条件さえ存在し続ければ単なる悪夢ではなく実際に実現してしまう。その条件とは「我々人類の無知である」

何をぬかしとんねん!!

させるかボケコラァッ!ワレら毎度まいどこらぁ…ホンマに…この…コソコソとこのボケこらぁ…金融資本家~こらぁ~。こっ…こらぁ~…。…こ……、

コラァァァァァッッーー!!!

ご来訪頂きまして誠にありがとうございます。夕凪と申します。

「沈黙の兵器」とは人類を完璧なマインドコントロール下におく為の社会のオートメーションシステムを指しており、最先端コンピューター、テクノロジー、マインドコントロール、社会工学システム等を駆使した人間奴隷化と計画的人口削減の為の作戦や調査報告、第三次世界大戦のマニュアル的要素が記されています。

人間を奴隷に⇒奴隷を家畜人に⇒家畜人から機械人に⇒最終的にトランスヒューマニズムまたはムーンショットとの融合。

日本民族はこの様なある種無機質な哲学とは無縁であったが、現代はこの渦に巻き込まれようとしています。

ではどんな抵抗をすればよいのでしょうか?

人間らしくいればよい。

人間らしくと言うとテクノロジーが悪いのかと言われそうだがそうではない。むしろテクノロジーは大好きだし、現代の生活において大きな恩恵を受けています。お金と同じで悪用しようとする奴が悪い。最先端テクノロジー技術で人類みんなが幸せになれば良いものを、何故それを奴隷だの支配だのの話にしてくるのか。人間性とテクノロジーの調和こそユートピアでは?と私的には思いますが、支配層というのは自分達以外が楽しく幸せそうに生きる事が、まあとにかく気に食わない様で。優生思想とか悪魔崇拝とか、まあ何かよく知らんけど色々ありますよね。中2病ですか?

ならテクノロジーから完全離脱して自給自足で村を作っていくのか?というと私的にはNO!ですね。完全自給自足は私には厳しすぎると思うし、村といっても人が集まりそこに社会ができるという事は、そこの中でまたピラミッド社会が構築されそうな…。

テクノロジーの恩恵を受けつつ支配構造をのらりくらりとかわし、群れる事なく、でも繋がり、ガチガチの絆ではなくしなやかに。そして有事の際にはまとまり、しなやかなので決して折れず。理想はそんなところでしょうか。ドラゴンボールの登場人物達みたいですね。普段は各自楽しく暮らし、地球を脅かす敵が襲来した際は集まり、事を終えたらまた散りじりに。みたいな…。私が中2病でしたね。

悪い流れにのらず自分の意志で生きる。

「悪い流れにのらないと言うなら、そもそもこんな(沈黙の兵器)とか、そんな情報見せんじゃねえよ。別にこっちは楽しくやってんだからさ!」と言いたい方がいらっしゃると思います。察しの良い方はもうお気づきかと思いますが、それこそ支配側の思惑通り、「何も知らず偽物の世界で楽しくやってくれる人」に全員になって欲しいのです。そうなれば支配側は水面下でやりたい放題ですから。これまでもそうやって着実に世界を、日本をのみこんで来ています。(日本の大企業の株主の大半が外資だったり)しかし大衆が支配側の仕掛けを知り、知恵をつける事で防げる事はあると思います。

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少し前にゴリ押ししてきた昆虫食なんかはいい例で、大衆から総スカンで、完全に頓挫したとまでは言いませんが、最近あまり聞かなくなってませんか?みんなでシカトきめ込んでのらなければ、ある程度防げるのです。

支配層は少数なので、大衆を管理・監視するのに、マインドコントロールとか、法案を変えるとか、マイナンバーとか、回りくどい手法を取って行くしかないが、我々は数の優位性を生かし、自分の目と行動で容易く奴らを監視して行けばいい。支配側の動きに目を光らせつつ健全に自分の人生を生き、支配側が良からぬ企みを仕掛けてきた際「おいッ!調子乗ってんじゃねえぞ!」と数で対抗する。この「おいッ!」の波動が重要であって、その為にはやはり「知る」ことが大事だと思います。

世の真理を知った事で嫌な気分になって、「おいッ!」て波動を飛ばすだけじゃ、知る事で嫌な気分になるだけマイナスじゃない?という意見もありそうですね。

私的にはそうは思わなくて、別に何もしなくても「ただ知るだけでいい」と思います。知るだけで勝手に意識や行動が変わってきます。まともな人間ならこの先どんどん生きずらい世界になって更に奴隷や家畜感満載の人生を送りたいなんて誰も思いませんよね?そうするとそれを回避しようとする意識が顕在意識や潜在意識に刻まれ波動となり、それがどんどん増えて大衆意識となる。大衆意識だけが大まかな世界を現実化させると思っているので、そんな悪い世界にならないのではないかと思うのですがどうでしょう?逆に知らずに誘導されるだけの意識が大衆意識なら支配側の思惑通りの世界が現実化されるのではないでしょうか。

主体的に生きる。

「されている」ではなく「させている」と思う。

殴られてアゴを砕かれた。⇒殴らせてアゴ砕かせてやった。

からの!と思ってみる。

芸人のザキヤマさんなどが他の人にムチゃぶりしてる時に使っていた文言。嫌な思いをしてネガティブな思考が一通り巡ったら最後に「からの!」と思うでも言うでもするだけです。「からの!」って言われても、もうこれ以上何も出ません…で悪い思考がそこで止まればいいし、何も出ないのでまた同じ思考を繰り返します…でもいいし。「からの!」の問いから瞬間的にいい解決法が降ってくるかもだし、結構馬鹿にできない手法だと思いますよ。

要はネガティブな思考・感情になった時、そこに問いかけやツッコミを入れてくるもう一人の自分なり誰かを思考の中に形成するのです。そうする事で大なり小なり思考を逸らす事ができ囚われ度が減り、主体的な方向に傾くのです。

まあくだらないと言われればくだらないのですが。ただ「苦しい時こそ笑え」何てよく言われますが、事態が深刻であればあるほど、笑いやくだらない事の重要性が増すと思っていて、いい話や感動的な話の様にじわじわ浸透してくるものと比較して、笑いって瞬発的に空気を変えられる威力がありますよね。ネガティブ思考に囚われる又は囚われそうになった時の為の予防線として、自分がどうしても笑ってしまう様な事象なり何なりの引き出しを持っておくと良いと思いますよ。それに深刻な事態なんて言いましたが、そもそも深刻にしているのはたかだか世間一般の価値観や自分であり、自分自身がこうだと思えばこうだし、そうだと思えばそうだし、大丈夫だと思えば大丈夫だし、そんなもんですよ。

「自分の機嫌は自分でとる」これこそまさに主体的に生きるではないでしょうか。

ここまでお読み頂きましてありがとうございました。

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