国民的RPG「ドラゴンクエスト」の生みの親、堀井雄二さんの名言です。
ご来訪頂きまして誠にありがとうございます。夕凪と申します。
当方40代も後半に差し掛かった初老でありますが、我々の年代であればほとんどの方がプレイしてきたであろう「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」などのロールプレイングゲーム。
主人公がいて、LV1でお金もなく装備も貧弱でとにかく弱い状態からスタートし、そこから敵を倒し経験値やお金を得てLVを上げたり装備を強くしたり、仲間を増やしたり、それと同時進行で様々なイベントを経てラスボスを倒す。ざっくり言えばそれだけのゲームです。
今私達が生きているこの世界が、宇宙なり何なりから投影されているヴァーチャル空間と仮定するなら、まさに人生はロールプレイングゲームのようなものですね。
楽しく生きたいなら、今この瞬間が華と思うしかないし事実そうである。
RPGの目的はラスボスを倒し、世界に平和をもたらし感動のエンディングを迎える事なのですが、深くハマった思い入れのあるゲーム程、終盤に差し掛かるにつれ、エンディングを迎えたくないという微妙な感情になり、でも始めた以上はエンディングは見るのですが、その後ロスというか、妙に虚しくなった経験はおありでしょうか?
エンディング後にしか発生しないイベントや、裏ボス的な要素のおまけがあるゲームもありましたが、そんなのも一通り終え、でもまだ何となく終えずに、キャラのステータスを上限(カンスト)まで上げたりして(ヒマか!)いよいよやる事が無くなり非常に虚しくなった事が私はあります。
そのゲーム上では自分を脅かす敵もいなくなり、お金も有り余りまくり(そもそも装備も何もかも最強なので使いどころがない)この状況非常に虚しい。成功者ってこういう心境?とふと思ってしまいました。
我々庶民から見たら、そこまで成功してるのにまだ働くの?とか新しい事始めるの?と思う事がよくありますが、ゲームの視点からいくと合点がいくというか、やりきってしまったらまた新しいゲームを買ってきてやり始めたくなりますもんね。
何が言いたいかと申しますと、結局エンディングまでの過程が一番楽しかった時であり、おいしいところなのであります。
鋼の剣を勇者と戦士分2本欲しいが今の資金で買えるのは1本。勇者に装備させて今勇者が装備してる鉄の槍を戦士に渡して総合力を上げるか?戦士に鋼の剣を装備して戦士だけの攻撃力を大幅にあげるか?とか、どうしても倒せない中ボスだったが、スキルの設定を入れ替えたり戦術を変えたり、現状ある材料だけで試行錯誤し何とかギリギリ勝てた時のしてやったり感とか。
そんな感覚を体験したくて、高次元からいちいち願望達成に遠回りなこの地球での人生ゲームをプレイしに来ているのか?我々は。
「人生はRPG」の観点からも自殺はやめとけ。
厚生労働省の発表によると、2023年の日本の自殺者数が2万1818人だったとの事。(年代別では50代が最多の4186人 続いて40代の3624人)
輪廻転生(生まれ変わり)が本当にあるのか定かではないが、我々が地球での人生ゲームをプレイする為、もしくはさせられる為に生まれおちているなら、「自殺=リセット」してもまた最初からプレイして同じイベントでつまずくか、運よく違うゲームをプレイできたとしても、同じ様な難易度のイベントでまたつまずいて嫌になる…という事の繰り返しだと予想されるのでやめといた方がいいですよ。
最後に
ファミコンの時代のゲームって今ほど親切じゃないし、というかむしろ理不尽ないわゆる「クソゲー」的なものが溢れかえっていましたよね。メジャータイトルの「ドラクエⅡ」ですらなかなかのクソバランスだったと記憶している。
ずっと以前から狙っていて楽しみにしていたゲームを、貯めたおこずかいやお年玉を使ってやっとの思いで購入。(当時でも4000~5000円代はしました)期待に胸躍らせプレイ開始したのも束の間、いかりやよろしくの「ダメだこりゃッ!」が素で炸裂した経験も1度や2度ではなかった。
しかし貯めたおこずかいをほぼ全て投入しているので後戻りはできない。テクニックを磨き、知恵を振りしぼり、創意工夫をし、時には裏技を駆使し、クソゲーでも自分なりに折り合いをつけ遊んできたじゃないですか。
大丈夫ですよ。人生も所詮ゲームみたいなものです。
ここまでお読み頂きましてありがとうございました。